ありがとうミスターレガシィ(涙)
FBで古い友人がシェアしていたので、当Blogでもクリップさせて頂きます。
自動車評論家 清水一夫氏のBlogから。
私はご縁が無くて、桂田さんとはお目にかかる機会がありませんでしたが、ウチのクラブのメンバーなら、何度かお目にかかっているかもしれません。
心からご冥福をお祈りいたします。
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ありがとうミスターレガシィ(涙)
FBより転記
ありがとうミスターレガシィ(涙)
中島飛行機から身を転じた百瀬晋六さんの最後の生徒だったスバルの桂田勝さんが亡くなりました。平成元年のレガシィの生みの親であり、FFをやめてAWD一本化を進めた人でした。最近は闘病中と聞いていたのですが、返らぬ人となりました。桂田さんから学んだことが沢山ありましたが、まだまだ教えてほしいこともあったのです。
東京大学航空学科を卒業され、富士重工に入社。飛行機ではなくクルマの開発部門からスタートしたのですが、当時の日本には気の利いた自動車理論がないことに気付き、米国ミシガン大学に留学。自動車工学の権威の教授に従事した桂田さんは真っ直ぐな技術者でありました。氏のこだわりであった「不易と流行」という言葉は私の脳裏に刻まれてます。
レガシィのスタイルがカッコ悪いというインタービューしたとき、「わるいけどうちは機能主義だからね。機能が犠牲になるデザインは私は認めない」と言い切ったことがありました。
軍足姿が印象的です。
いまはご冥福をお祈りします
ベルリン郊外より
http://minkara.carview.co.jp/userid/360795/blog/29829156/
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もう一つ。
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訃報:元STI社長の桂田勝氏が死去
4月24日、スバルテクニカインターナショナルの代表取締役社長を務めた桂田勝氏が病気のため死去した。享年70。
桂田氏は2003年のペター・ソルベルグによるドライバーズタイトル獲得時や2004年の第1回ラリージャパン優勝時にSTIの代表としてチームを率いた人物。
桂田氏は1966年富士重工業株式会社に入社。技術者として乗用車の開発に長年携わる。71年秋から約1年間、米国ミシガン大学高速自動車研究所客員研究員を務め、83年よりスバル技術本部車体研究実験部へ。
レガシィに関しては89年に発売された初代モデルの企画初期段階からかかわり、98年発売の三代目では開発責任者を務めた。
99年に富士重工業の執行役員兼商品企画室長となり、量産車の企画開発を指揮。2001年6月には富士重工業常務執行役員兼スバル技術研究所所長に着任。
これらの職務を兼務しつつ10月からスバルテクニカインターナショナルの代表取締役社長に就任した。03年7月からSTI専任となり、WRCをはじめとしたスバルのモータースポーツ活動の指揮官として活動した。
http://as-web.jp/rallyplus/news/info.php?no=25729
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