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2012/12/01

最近、感じている事

ここの所、マジでいろいろ有り過ぎて、てんてこ舞いさせられながら日々を過ごしているのですが、その中で一つ、今まであまり実感として感じていなかった事が頭をよぎる様になってしまっています。

何かというと

「私は、どこまでこの世界を見続けられるのだろうか?」

・・・と言う事です。まあ、もっとストレートに書いてしまえば、自分自身の老いや死というものに関して、今までよりも身近に感じていると言う事になりましょうか。

7月末に他界した父の事、Facebookで再開した友人のお兄さんの死を知った事、子どものころにとてもお世話になった方が他界した事、母と接していて感じる老い、これらの事が大きく影響しているのは間違いは無いのですが、私に残された日々はあと何日残されているのだろうかと言う事を、切実に感じてしまっています。先日、ヱヴァ:Qを観て「ああ、続きがあるんだな、でもFINALを私は観られるのだろうか?」とか、まあ、そんな感じです。

私が、個人的に尊敬して止まない、故スティーブ・ジョブス氏のスタンフォード大学でのスピーチの一節にこんな言葉が有ります。

-----引用開始-----
「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」。そしてその答えがいいえであることが長く続きすぎるたびに、私は何かを変える必要を悟った。
https://sites.google.com/site/himazu/steve-jobs-speech
-----引用終了-----

この言葉が、やけに心の隅に引っかかっています。毎日の様に、私の心をかき乱すいろいろな事柄が起きているからこそ、引っかかっているのかもしれません。でも、冷静になって考えてみると、明日の朝、今朝と同じ様に無事に目を覚ませる保証など、どこにも無いんですよね。後悔の無い生き方をしているだろうか、これについては「NO」。このまま「NO」が続く日々を過ごし続けていいのか? これも「NO」です。

金太郎飴の様でもあり、トンネルの様でもある私の生き方に、果たして終止符を打つ手段は有るのでしょうか。今日も考えて、多分、明日も考えるでしょう。何故か奇妙な焦燥感に駆られ続けています。

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コメント

私も以前、祖父母や嫁方の父母が相次いで亡くなった時、人は40代から50代になった時、自分の死に対して大きく意識するもんだと思いますし、自分もそうでした。

考えて見れば、既に人生の半ばを過ぎて残り半分もなくなってしまいました。
マラソンに例えれば、折り返し地点を過ぎてゴールが視界に入って、そこに向かって走っている様なものです。

私が思った事は、これはもう逃れる事が出来ない刹那としか言えない。
ならば、あるがまま、なすがまま、今ある自分から逃れられないんだから、それを受け入れるしかないんじゃないかと思っています。

人生悔いのない様に生きるなんて到底不可能なんだから、少しでも悔いを少なく出来る様に、自分が信じるままに、自分が一番ベストだと思う通りに生きるしかないんじゃないでしょうか。

なんか私、偉そうな事を言ってますね。f(^_^;

chiharu_legacyさん
コメントを有り難うございました。
気持ちだけは若いつもりでは居ても、最近、私の周りで起こっている様々な事は「歳をとって巡って来たもの」が多く有りますので、嫌でも自分自身の老いも意識させられますね。

偉人の様な凄い人生を生きたいなんてことじゃなくて、せめて、自分の番が回って来た時に、俺の人生も捨てた物ではなかったなっと思える程度には、生きられたらなと思ってはいますが、なかなかままなら無いモノですね。

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