« ミニマルデザインの粋、ミウラ復活 | トップページ | Intel Mac、ユニバーサルアプリの憂鬱 »

Vista、Tigerに見えるOSの臨界点

いつも貴重なエントリーを拝読させていただいている、Solid Inspiration Blog様「Vistaは眺めにあらず そは"横目"なり」という記事へのトラックバックです。

先週、Windows Vistaのデモンストレーションが行われた事で、ネット上では様々な意見が出ていると思います。まあ、飽和状態になっているPC市場の買い替え需要の起爆剤になるとか、様々な最新メディアに対応するとか、画面が美しくなったとかなど等の待望派と、事有る毎に比較されるMacOSXに酷似している、新規性は無い、こんなスペックを食うOSは要らん等という懐疑派の論戦は、毎度の事なので脇に置いておいて、ちょっと違った視点でこのOSを考えてみようかと思います。

まず、頭を冷やして考えてみましょう。本来、OSとは何か? もともとは、膨れ上がる情報量と、その効率的な処理方法を提供するのがOSの紀元ではなかったかと思います。そこにCUIが登場し、エンジニアによる運用が必須だったコンピューターが、より人に近づいた。ここまでが、MS-DOSまでのざっくりとした系譜でしょう。そこに革新を起こしたのが、言わずと知れたMacintoshのGUI。そして、マイクロソフト陣営では、CUI環境から本格的なGUI環境へとの移行が行われ、大ブレイクしたのがWindows95。現在のシェアは、書くまでもない事ですね。ここまでが前提です。

昨年末、私は二つのOSと向かい合う事になりました。一つはWindowsXP、そして我が愛機のMacOSX10.4.3Tigerです。始めはWindowsXP、Windows2000までは、95からの操作の連続性、そして、MacOSに通じるところもあり、言いたい事は山積みではありますが、なんとか使って来ました。しかし、XPに初めて向かい合ったとき「一体これでどうすれば・・・」と言うのが、第一印象でした。全てのソフトのランチは、スタートボタンに一本化され、また、殆どの設定はウィザードによるものになり、一見、迷う事は無くなったようにも見えますが、それまでのGUIの操作感との断絶があり、加えて操作のフレキシビリティが完全に失われていた事を知らなかった私は、手も足も出ない状態になりました。結局、ストレスがたまる一方だったので、従来のGUIと同じ設定で使う羽目に...これでは、私は「XPを使う意味は無い」でしょう。ア○バ逝きケテーイです。

そして、MacOSX10.4.3Tiger。こちらは、今までの操作感を継承している関係で、すんなり慣れる事ができましたが、UIだけの視点を持って冷静に考えてみるとMacOSX10.3と、大きく変わった部分はSpotlightと、ウィジェット程度。まあ、両方とも、膨れ上がる情報量と、反乱(w)する窓の数を巧み押さえ込むテクノロジーではありますが、ぶちゃっけ言ってしまうと、ここは枝葉の部分です。まあ、その他の部分でも、従来のUIのコンセプトに乗っ取った改良が各所で行われていたので、不満はありませんでした。

しかし、前振りに書かせていた10年前と比較して、果たして何が変わったかを考えると、革新的であるのはXPであると言えるかもしれません。でも、ユーザビリティの視点から言えば、MacOSXの方が正常進化と言えるでしょう。しかし、革新的ではありません。ここには奇妙なジレンマがあるように思えます。

ill例えばこんな例。これは、AdobeのIllustratorのツール群ですが、見ての通り、膨大な種類です。これらのパレットを切り替えながら作業すると言うのは、かなり熟練が必要です。しかも、この部分はAdobeのインターフェース内に組み込まれているため、現時点ではOSXのExposé(エクスポゼ)の恩恵を受ける事は出来ません。この事は窓環境でも同様です。現時点での解決策は、より広大なディスプレイを用意するしかありません。言うまでもないですが、ここも10年前と何ら変わっていません。ウインドウは未だに反乱を続けています。

nor
col1
col2
col3
そして、こんな例もあります。これは有名な、MacOSXのWindowコントロールのボタンですが、ちょっと細工をしてあります。これは色覚障碍を持った方が見たコントロールボタンです。 上から健常者、第一色覚異常、第二色覚異常、第三色覚異常を持った方が、同じボタンを見られた場合をシミュレーションしています。それぞれの色覚異常については、ここでは割愛しますが、問題は色覚障碍を持っている方の場合は、ボタンの位置しか操作する為の情報が無いと言っても過言ではないでしょう。人に優しいインターフェースを売り物にしているMacOSXでもこの有様です。(Windowコントロールボタンは窓の方がマシかもしれません) ここでご理解いただきたいのは、画面の美しさと使いやすさは、違う視点で存在していると言う事です。

今回のWindows Vistaの画面を見て些か心配に思った事は、使いやすい、美しいと言われているMacOSXのアイデアと酷似したものを、手を替え品を替え組み込んでいそうな点。まあ、一例として挙げれば、Exposéに似た窓の三次元表示は、そもそも考え方として、ディスプレィは「二次元を鳥瞰する為のモノ」であり、これを三次元表示にしてしまっては、元も子も無いといえます。上記のIllustratorのツール群をご覧になっていただけば、ご理解いただけると思いますが、更に簡単に言うと、机の上に高く積んだ書類の中から必要な書類を発掘する様なものです。ここには、画面のユーザビリティより、視覚的な新規性のみを追求した結果の様にも見えます。ここで、私が言いたいのは、似ている事は問題ではなく、そのモデルとなった「何かの本質」をしっかりと引き継いだモノになっていないと、使い物にならないと言う事です。

さて、つらつらと書き綴って来ましたが、そろそろまとめに・・・(^^;) < 纏められるんか?
結論から言ってしまうと、人と機械の意思の疎通の隙間を埋める為のOSは、既に臨界点に達しているのではという事です。10年前と比べ、OS本来の持つ目的の「マシンと人との対話」だけでなく、驚く様な様々な機能が追加され続け、そしてその代償として、一昔前までのスーパーコンピューターの水準の性能が必要になって来ています。正に「もうお腹いっぱい」です。しかし、未だに、多くの人にとってコンピューターはブラックボックスであり、デジタルデバイドは無くならない(地域格差は除いて)。人はこのスーパーコンピューターを抱えて「パソコンを習い」にアビ○に逝くと(w) なんという、エントロピーの増大でしょうか。こうした「動かないコンピューター」や、有り余ってるリソースを使うだけでも相当な事が出来そうです。...あ、OSが食っちまってたら身も蓋もないですね...orz

これからの先を考えた場合、OSそのものの必要性も含めた「あり方の変革」や、ネットと人を繋ぐ為の何らかのパラダイムシフトが無い限り、この状況は続くと思えます。これを打破するヒントは昔と何ら変わらないモノの中にあるように思えます。ユビキタス社会の中で、人がシステムに向き合うとき、それをコンピューターと認識させないで使える技術、方法と言ったものへのシフトは必須用件となるでしょう。しかし、これを実現するには、コンピューターの人と接する部分のテクノロジーの進化と、広義のインターフェースデザインのヴィジョンが、きちんと定まってからになりそうです。おっと、これは少し飛び過ぎですか・・・(^^;)

仮にAlgernonが窓ユーザーだとして、お前だったらWindows Vistaを買うか?
いえ、私はWindows2000で十分です。

|

« ミニマルデザインの粋、ミウラ復活 | トップページ | Intel Mac、ユニバーサルアプリの憂鬱 »

パソコン・インターネット」カテゴリの記事

コメント

トラックバックありがとうございました。

ご指摘の通りです。私も、次の世代のOSへの進化というものが想像できません。結局、マイクロソフトも考えが至らなかったのでしょうね。

未だ詳細が触れられていないMacOSX10.5ですが、Intel系ハードへの対応でとどまってしまうのでしょうか。

もうすぐ内容が明かされる事を期待して待つことにします。

投稿: Solid Inspiration | 2006/01/09 01:41

Solid Inspirationさん
私は15年前からの10年前までの変革の速度と、この10年の変革の速度って全く違うと思っています。結局のところ、折角のテクノロジーの進化を「重いOS」が食いつぶし、人がやる事の変化を起こすまでの余力が生まれなかったのではという見方もできます。現在のスタイルの「OS」が人の生活の変革の足かせになってると考える事は、些か斜めに見過ぎでしょうか?

MacOSX10.5が、どんな変革を起こすのか・・・でも、本当に、私たちが本当に必要なのは、単なるメジャーバージョンアップではなく「本当の意味で突き抜けたモノ」だと思うんです。

おっと、この10年での生活の中での変革という意味では「iTMS&iPod」がありましたね・・・(^^;)

投稿: Algernon | 2006/01/09 19:04

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/32843/8056292

この記事へのトラックバック一覧です: Vista、Tigerに見えるOSの臨界点:

« ミニマルデザインの粋、ミウラ復活 | トップページ | Intel Mac、ユニバーサルアプリの憂鬱 »