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「i(アイ)」'm here !

初めて、この三菱自動車の「i(アイ)」を見た時、完全なコンセプトモデルとだとばかり思っていた。フロントフードより、前に飛び出したフェンダー、信じられない程小さなフロントフード、そしてジェリービーンズか空豆の様な印象的なサイドビュー。現在、そこいらを走っている軽四とは、一線を画すスタイリングに驚き、それ故に現実感が無かった。COLTの様に、デザインの特徴的な部分を殺ぎ落とし、普通の車になって発売されるとばかり思っていた。ところが、本気でこの車を出す事を知った時、正直「インド人もびっくり」状態だった。

昨日のこの車の発表の記事を読んで、更に驚いた。なんと駆動方式がミッドエンジン・リアドライヴ! そうか、それで、あの非現実的なフロントのスタリングが実現できたのかとやっと理解で来た。特徴的なデザインを実現させる為に、デザインとエンジニアリングが、驚くべき次元で折り合いを付けた。こんな例は殆ど聞いた事が無い。それ故に、この車に対する三菱自動車の「本気」が伝わって来たし、また、実際に他に例を見ない存在感がある。軽四は単なるゲタ代わりではなく、車の個性だという主張、こうした新しい価値観を創出する為の主張は、圧倒的な説得力を持っている。正しく「I'm here !」と強い主張が聞こえてきそうだ。同じ様に軽四の新しい価値観を創出するアプローチでは、最近ではダイハツのコペン、スバルのR1が有るが、前者は2シーターオープンエアとして見事に成功。後者はその商品企画の中途半端さ故に、訴求力が弱かった。< まだ終わってねーよ(^^;)

ただ、この三菱の「i」もにも不安が無い訳ではない。この車がターゲットとして期待されている市場の「団塊の世代」が、この車のスタイリングと価値が理解できるかどうかである。大量生産、大量消費の右肩上がりの時代を過ごし、現在はそれなりに財力を持つこの世代の価値観が、そう簡単に変わる事は無いだろうと思える。私の感覚では、トヨタで最も醜い車である「マークX」のユーザー層の中心が、団塊の世代から上に中心があるのが、趣向の正体だと考えている。また、若い世代は、車とは別の方向を向いてる。それと言うまでも無いが、様々な不祥事が原因で、地に落ちた三菱自動車のブランドイメージ。これらのハードルを乗り越えられるかどうかが、この愛らしい「i」が「哀」になるのか、それとも私達と三菱との新しい「会い」になるのか、最大のポイントとなると思える。デザインとエンジニアリングの力がこれらの問題を覆す力となるのか、とても興味深いと感じている。

昔、親しい友人の間で、スバルサンバーをベースに乗用車を作れば、「i」みたいな車を作れるよね。なんて冗談を言ってたが、思えばこれを三菱は本気でやったんだなぁと(w)< ヤラレタ感一杯らし...orz

今、最もディーラーに足を運んで見ておきたいモデルである。

【トラックバック先】
世界的名車の予感(ひめナビブログ様)

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ハンドルネーム占い

こなさん、みんにちは。(古!)
Algernon.西澤桃華@ケロロ軍曹キャラ占いです(w)

・・・とまあ、いろんな占いがネット上で氾濫してますが、とあるコミュニティで、こんなサイトを見つけてしまいました...orz

ハンドルネーム!

・・・ここで提供されているコンテンツの、「ハンドルネーム占い」に、私のハンドル名を占って頂きました(爆)
結果は「中吉」だそうで、まずまずと言ったところでした。で、ここの占いの面白いところは、他にもハンドル名の提案をしてくれるところで・・・私の結果は以下の通りでした。

その1.モーニング娘。の様に”。”を付けると。
Algernon。
恋愛運:B 健康運:C 成功運:C 金運:B/凶

その2.ちょっと洒落た洋風に。
イタリアーノAlgernon
恋愛運:B 健康運:C 成功運:A 金運:A/小吉

その3.軍人系で呼んでみましょう。
Algernon大尉
恋愛運:C 健康運:B 成功運:C 金運:C/大凶

その4.番号付けで呼んでみると・・・。
Algernon2号
恋愛運:A 健康運:A 成功運:A 金運:C/中吉

その5.崇高?な名前を付けてみましょう。
伝説のAlgernon
恋愛運:B 健康運:A 成功運:C 金運:A/小吉

その6.なにか凄そうな名前を付けると・・・
スーパーAlgernon
恋愛運:A 健康運:B 成功運:A 金運:B/中吉

その7.親しみやすい呼び方を付けてみよう。
あなたのAlgernon
恋愛運:B 健康運:C 成功運:A 金運:C/末吉

その8.ちょっとディスカウントショップ風に。
Algernon半額処分
恋愛運:C 健康運:C 成功運:B 金運:A/末吉

その9.ちょと古風に・・・
Algernon麻呂
恋愛運:C 健康運:C 成功運:A 金運:B/末吉

その10.”つのだ★ひろ”みたいに・・・
Algernon★やす
恋愛運:C 健康運:A 成功運:C 金運:A/吉

その11.思い切って、フェイスマークなんかどう?
Algernon(T_T)
恋愛運:B 健康運:C 成功運:C 金運:C/大凶

・・・とまあ、どれもあまりぱっとしません。本人なりと言うところでしょうか(ーー;)

そんな薄幸の私としては幸せの追求のため、究極のハンドルネームを求めて、更なる占いを決行いたしました!
そして、ついに、ついに、ついに見つけました。
これぞ、私の最強のハンドルネームです。大吉です!!





あるぢゃ総帥







・・・完全に名前負けしてますなぁ...orz

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長過ぎた裁判

今週の代表的なニュースと言えば、ライブドアの粉飾決済疑惑で市場が大混乱、関西淡路大震災から11年、宮崎勤死刑確定でしょうか。ライブドアのおかげで、株価がみーんなどかーんと下がった時に「買いだー!」と我が家で騒いでみたものの、旦那の稼ぎが悪く「資金」が無い事は明らかで...orz

17年前と言えば、多分、「私が幼稚園を卒園した頃」でしょうか? 宮崎勤の連続幼女殺人事件の異常さに、当時の報道がてんやわんやになっていたのを記憶しています。彼のお陰と言ってはなんですが、「おたく」=「異常」という図式が形作られ、世の中の「同志諸兄」の暗黒の時代が続いた訳ですが、いや、これは脇に置いておいて・・・。今回の最高裁上告棄却、死刑確定という事で、個人的にとても考えさせられた事があります。 報道でも宮崎の「責任能力の有無」に関する考察が多く語られていましたが、はたして本当に責任能力が有ったのでしょうか。

私自身は必罰主義なので、殺人犯は「死刑!(C)某少年警察官」、刑法199条に異論無しです。(ついでに死刑で良しと思ってるのは政治家や国家公務員の国民に対する背任行為ですが) しかしながら、最後の臨床心理士による精神鑑定の報道をそのまま鵜呑みにするなら、宮崎の言っている事は、どうもこの年代の成人とは思えない論理展開です。幼稚な印象をすら受けました。これは、17年の長い勾留生活が影響したものなのか、それとも事件当時からこの様な状態だったのか、この部分は明らかになっていません。もし、事件当時からこのような状態だったと考えるなら、自分の行為そのものを理解していなかったのではとも思えます。宮崎勤でググッてみると、この部分を更に踏み込んで「冤罪」という説も有る様です。

一部の報道にもありましたが、彼の数千本にも及ぶビデオライブラリーの中で、性に関する表現が有ったものは数本に過ぎなかったということと、精神的もしくは性的に未発達の人間が、この様な行為によって性的快感を感じる事ができるのか? ここは大きな疑問です。まあ、冷静に考えてみると「成人であっても異常」な訳ですが・・・ここには、何か釈然としないものを感じます。私はこの事件を通して、精神を探る心理学と、人を裁く為の法の限界を見た気がしました。その妥協点が、この「上告棄却、死刑確定」だったのでは・・・と。心理学はとうの昔にサジを投げており、司法は彼が世論に与えた影響を鑑みて「死刑」にする為の「理由とタイミング」を探していた。そんな印象すら感じます。

時々、耳にする事が有りますが、日本の刑法は「犯罪者には甘く、被害者には冷たい」様です。大切な子供を奪われ、被告の刑が17年も確定しない。そしてそれに対する宮崎被告(死刑囚)の17年とは、一体どんな17年だったのでしょうか。一つだけ確実に言えるとすれば、とにかく長過ぎました。そして、私はどうしても連想してしまう、かの「松本智津夫被告」の判決はいつになるのでしょうか。この「長過ぎる裁判」が、様々な所に変化をもたらす事は想像に難しくないです。

そして近い将来、「裁判員制度」が始まったその日、我々国民は何を見ることになるのでしょうか。

【トラックバック先】
<動物裁判>としての宮崎勤死刑判決精神鑑定批判【松尾光太郎 de 海馬之玄関BLOG様】
精神の子殺しと親殺し【らんきーブログ様】

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男たちの大和/YAMATO

本日、やっと観てきました。

ネタバレを避けて書くと、非常に考えさせられる映画になってました。この映画のメッセージは、今までの日本の戦争映画とは、些かテイストが違う感じです。「戦争反対」「こんな事は二度と繰り返してはいけない」と言った有りがちなものではなく、「何かを守る為に死ぬ事の重さ」と「生きる事の重さ」が、ほぼ等価に表現されていた様に思えました。この部分は新しく、そして映像から受ける事より、遥かに凄惨です。 この作品を観た友人が、みんな感想の表現に詰まっていた理由が分かりました。私のこの感想も、軽率に思えます。

そして、映画が終わった後に「あとは自分で考えろ」と宿題を貰ってかえって来た・・・という感覚。

正直、この宿題はかなり重いです・・・私も答えは出せないでしょう(ーー;)

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Mac版WMP、開発打ち切り

Intel Macの発売によって、ついに同じ土俵に乗られてしまったマイクロソフト。同じリソースを使った場合、MacOSXとVistaはどちらが高速なのか。長年の林檎vs窓の処理速度の謎が、正に「OSレベル」で比較される事になりました(w) どっちが速くても、私は林檎を買いますが...なにせ信者ですから(爆)

そんなこんなで、例によってマイクロソフトから、何か動きが出てくるかなーと思っていたら、やっぱり来ましたね。まあ「数が出ている為にデファクト」とも言える、WMPの林檎版の開発打ち切りっすか...(^^;)

MS、Mac版Windows Media Playerの開発を打ち切り--提供は継続へ
Music stops for Mac Windows Media Player

もともと、スペック表に書かれている機能もマトモに動きませんし、我々、林檎ユーザーには「全世界の信仰心の高い信者」と、「超優秀なUnix系のハッカー」が付いていますので、痛くも痒くもありませんが。なんと申しましょうか・・・


「考えてる事が子供」


・・・記事を読んで、思わず苦笑してしまいました。

QuickTimeでも、一部のAVIの再生が出来ないという話がありますが、flip4macもありますし、QuickTimeが駄目な場合はMPlayerOSXや、VLCでなんとかなっちゃいます。そして、上記のソフトでも駄目な場合は、こんなソフトもあります。もしお困りの方がおられましたら、一度お試しください。(映像がwmv3でエンコードされているもの)

WMV3Server

優秀なハッカーの皆様の高い志に、心から敬意を表します(_ _)

【追記】
ここまでの記事では、私は大したインパクトは無いと思ってたのですが、世の中の流れとしてデッカイ落とし穴がありました。私の認識は完全に甘かったです。
MicrosoftがMac版Windows Media Playerの開発を停止(Solid Inspiration Blog様)
しかしまあ、なんですかね。MSもMSなら、世の中も世の中です。・・・これもマイノリティの宿命なんでしょうけど(苦)

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Intel Mac、ユニバーサルアプリの憂鬱

昨日、発表されたIntel Mac。相当に速い様で、ちょっとばっかり騙された気持ちになってます(w) 今まで、そんなに遅かったのか?!なんて感じですか(爆)

なんでも、PPCコードをIntel Macで走らせる為のRosettaは、G4のAltiVecもエミュレートするらしいので、正に「力技」という感じでしょうね。これは「マジ燃え〜(C)第6世代型某7号」な展開です。

ところが、些か心配事も無い訳ではありません。今回のCPU移行のキーテクノロジーになる、Universal Applicationが、予想以上に大きなパッケージになっており、些かびっくりしています。

林檎の世界で、有名なFTPクライアント「Fetch」が、早々にベーター版のUniversal Application版の5.1b1を配信し始めたので、PowerPC版の5.0.5と比較してみました。バージョンが異なるので、単純比較ってことは出来ませんが、あくまでも参考ということで。

size
Fetch 5.0.5(PPC) 13.8MB
Fetch 5.1b1(Univ) 41.3MB
まあ、内部コードとして、PowerPCとIntelが同梱されていると考えれば、増える事は当たり前ですが、予想以上に大きくなっている様に思えます。約3倍ですね。つうか、IntelのコードはPowerPCのコードの二倍の量が有るのでしょうか?

これをAdobe PhotoShop CS2に置き換えると、89.4MBが、267.5MBに膨れ上がる事になり、こりゃビックリという印象です。でも、最近はディスクもむっちゃ低価格になってますので、なんとかしのげるでしょう。ちなみにこのFetchのMacOSX 10.3.9環境での起動時のメモリー占有量は、

実メモリ 仮想メモリ
Fetch 5.0.5(PPC) 24.52MB 123.37MB
Fetch 5.1b1(Univ) 31.84MB 145.2MB

でしたので、誤差の範囲内かなとも思えます。この程度なら、あまり大きなインパクトは無い様に思えます。Rosettaを使ったアプリの動作速度がどの程度なのかは、極めて興味深い所ですし、今後、明らかになってくるでしょう。

ただ、心配なのは、このUniversal Apllicationの提供形態です。ソフトウェアベンダーにしてみれば、正しく「渡りに船」。ソフトウェアの機能アップしなくても金が取れる理由できるという訳で、虎視眈々と狙っている所は多いのではと思えます。また、この巨大化するパッケージを逆手に取って、Universal Applicationではなく、Intelネイティブに切り替える「有料片道キャンペーン」なんて事を考える所も出てきそうです。

既にAppleのソフトウェア群のUniversal Applicationへの書き換えは有料。e-frontier Shade 8では、良心的に「登録ユーザーは無料ダウンロード」という違いが出てきてます(^^;)

このあたりは、それぞれのベンダーの考え方が見えてきそうで、今後の動向は注目ですね。

【2006年1月20日追記】
有ったら良いなーと思っていた、ユニバーサルバイナリーの使ってない方を削除するフリーソフトが、有名な新しいモノ好きのダウンロード様で紹介されてましたので、メモしておきます。

Greg Weston's Downloadable Software(download page)
「TrimTheFat」

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Vista、Tigerに見えるOSの臨界点

いつも貴重なエントリーを拝読させていただいている、Solid Inspiration Blog様「Vistaは眺めにあらず そは"横目"なり」という記事へのトラックバックです。

先週、Windows Vistaのデモンストレーションが行われた事で、ネット上では様々な意見が出ていると思います。まあ、飽和状態になっているPC市場の買い替え需要の起爆剤になるとか、様々な最新メディアに対応するとか、画面が美しくなったとかなど等の待望派と、事有る毎に比較されるMacOSXに酷似している、新規性は無い、こんなスペックを食うOSは要らん等という懐疑派の論戦は、毎度の事なので脇に置いておいて、ちょっと違った視点でこのOSを考えてみようかと思います。

まず、頭を冷やして考えてみましょう。本来、OSとは何か? もともとは、膨れ上がる情報量と、その効率的な処理方法を提供するのがOSの紀元ではなかったかと思います。そこにCUIが登場し、エンジニアによる運用が必須だったコンピューターが、より人に近づいた。ここまでが、MS-DOSまでのざっくりとした系譜でしょう。そこに革新を起こしたのが、言わずと知れたMacintoshのGUI。そして、マイクロソフト陣営では、CUI環境から本格的なGUI環境へとの移行が行われ、大ブレイクしたのがWindows95。現在のシェアは、書くまでもない事ですね。ここまでが前提です。

昨年末、私は二つのOSと向かい合う事になりました。一つはWindowsXP、そして我が愛機のMacOSX10.4.3Tigerです。始めはWindowsXP、Windows2000までは、95からの操作の連続性、そして、MacOSに通じるところもあり、言いたい事は山積みではありますが、なんとか使って来ました。しかし、XPに初めて向かい合ったとき「一体これでどうすれば・・・」と言うのが、第一印象でした。全てのソフトのランチは、スタートボタンに一本化され、また、殆どの設定はウィザードによるものになり、一見、迷う事は無くなったようにも見えますが、それまでのGUIの操作感との断絶があり、加えて操作のフレキシビリティが完全に失われていた事を知らなかった私は、手も足も出ない状態になりました。結局、ストレスがたまる一方だったので、従来のGUIと同じ設定で使う羽目に...これでは、私は「XPを使う意味は無い」でしょう。ア○バ逝きケテーイです。

そして、MacOSX10.4.3Tiger。こちらは、今までの操作感を継承している関係で、すんなり慣れる事ができましたが、UIだけの視点を持って冷静に考えてみるとMacOSX10.3と、大きく変わった部分はSpotlightと、ウィジェット程度。まあ、両方とも、膨れ上がる情報量と、反乱(w)する窓の数を巧み押さえ込むテクノロジーではありますが、ぶちゃっけ言ってしまうと、ここは枝葉の部分です。まあ、その他の部分でも、従来のUIのコンセプトに乗っ取った改良が各所で行われていたので、不満はありませんでした。

しかし、前振りに書かせていた10年前と比較して、果たして何が変わったかを考えると、革新的であるのはXPであると言えるかもしれません。でも、ユーザビリティの視点から言えば、MacOSXの方が正常進化と言えるでしょう。しかし、革新的ではありません。ここには奇妙なジレンマがあるように思えます。

ill例えばこんな例。これは、AdobeのIllustratorのツール群ですが、見ての通り、膨大な種類です。これらのパレットを切り替えながら作業すると言うのは、かなり熟練が必要です。しかも、この部分はAdobeのインターフェース内に組み込まれているため、現時点ではOSXのExposé(エクスポゼ)の恩恵を受ける事は出来ません。この事は窓環境でも同様です。現時点での解決策は、より広大なディスプレイを用意するしかありません。言うまでもないですが、ここも10年前と何ら変わっていません。ウインドウは未だに反乱を続けています。

nor
col1
col2
col3
そして、こんな例もあります。これは有名な、MacOSXのWindowコントロールのボタンですが、ちょっと細工をしてあります。これは色覚障碍を持った方が見たコントロールボタンです。 上から健常者、第一色覚異常、第二色覚異常、第三色覚異常を持った方が、同じボタンを見られた場合をシミュレーションしています。それぞれの色覚異常については、ここでは割愛しますが、問題は色覚障碍を持っている方の場合は、ボタンの位置しか操作する為の情報が無いと言っても過言ではないでしょう。人に優しいインターフェースを売り物にしているMacOSXでもこの有様です。(Windowコントロールボタンは窓の方がマシかもしれません) ここでご理解いただきたいのは、画面の美しさと使いやすさは、違う視点で存在していると言う事です。

今回のWindows Vistaの画面を見て些か心配に思った事は、使いやすい、美しいと言われているMacOSXのアイデアと酷似したものを、手を替え品を替え組み込んでいそうな点。まあ、一例として挙げれば、Exposéに似た窓の三次元表示は、そもそも考え方として、ディスプレィは「二次元を鳥瞰する為のモノ」であり、これを三次元表示にしてしまっては、元も子も無いといえます。上記のIllustratorのツール群をご覧になっていただけば、ご理解いただけると思いますが、更に簡単に言うと、机の上に高く積んだ書類の中から必要な書類を発掘する様なものです。ここには、画面のユーザビリティより、視覚的な新規性のみを追求した結果の様にも見えます。ここで、私が言いたいのは、似ている事は問題ではなく、そのモデルとなった「何かの本質」をしっかりと引き継いだモノになっていないと、使い物にならないと言う事です。

さて、つらつらと書き綴って来ましたが、そろそろまとめに・・・(^^;) < 纏められるんか?
結論から言ってしまうと、人と機械の意思の疎通の隙間を埋める為のOSは、既に臨界点に達しているのではという事です。10年前と比べ、OS本来の持つ目的の「マシンと人との対話」だけでなく、驚く様な様々な機能が追加され続け、そしてその代償として、一昔前までのスーパーコンピューターの水準の性能が必要になって来ています。正に「もうお腹いっぱい」です。しかし、未だに、多くの人にとってコンピューターはブラックボックスであり、デジタルデバイドは無くならない(地域格差は除いて)。人はこのスーパーコンピューターを抱えて「パソコンを習い」にアビ○に逝くと(w) なんという、エントロピーの増大でしょうか。こうした「動かないコンピューター」や、有り余ってるリソースを使うだけでも相当な事が出来そうです。...あ、OSが食っちまってたら身も蓋もないですね...orz

これからの先を考えた場合、OSそのものの必要性も含めた「あり方の変革」や、ネットと人を繋ぐ為の何らかのパラダイムシフトが無い限り、この状況は続くと思えます。これを打破するヒントは昔と何ら変わらないモノの中にあるように思えます。ユビキタス社会の中で、人がシステムに向き合うとき、それをコンピューターと認識させないで使える技術、方法と言ったものへのシフトは必須用件となるでしょう。しかし、これを実現するには、コンピューターの人と接する部分のテクノロジーの進化と、広義のインターフェースデザインのヴィジョンが、きちんと定まってからになりそうです。おっと、これは少し飛び過ぎですか・・・(^^;)

仮にAlgernonが窓ユーザーだとして、お前だったらWindows Vistaを買うか?
いえ、私はWindows2000で十分です。

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ミニマルデザインの粋、ミウラ復活

・・・ミムラと言ったら、やっぱりドラマ「ビギナー」が・・・ぢゃなくて(^^;)

ランボルギーニが、「ミウラ」のコンセプトモデルを、デトロイトモーターショーに出展する様ですね。

【デトロイトモーターショー06】ランボルギーニ ミウラ、現代に復活

最近のランボルギーニとフェラーリは、視覚的にも重心を低くし、 エッジを立てた面を多用した「ガンダムデザイン」が多く、乱暴な言い方をしてしまうと、どっちがどっちであっても関係ない様な印象が強いです。まあ、それでもフェラーリの方が空力が良さそう?・・・この程度の差にしか見えません。とはいうものの、これも時代の潮流でしょう。

しかし、このミウラのコンセプトモデルは、まさしく「車のミニマルデザインとはこういうものだ」という主張が聞こえて来そうな、近年稀に見る完成度の高いデザインだと感じました。余分な線の一切を削ぎ落とし、基本に忠実な構成で、しかも個性を失ってない・・・。最新のモデルでありながら、近年のスポーツカーの潮流とは一線を画す、見事な美しさです。
線や面を複雑にし、個性を出すのは誰にでもできますが、最小限の構成でこれだけの「芸術」を生み出せる、ランボルギーニのデザイナーの力量には本当に感動しました・・・もちろん、オリジナルのデザインが美しかったと言うのも大きな要因ではあるでしょうが(^^;)

あ、ちなみに私はイタリアンデザインの信奉者ではありません。日本人のデザイナーも、素晴らしい才能を持っている方は沢山いると信じています。ところが「マーケティング」という「数字のマジック」に惑わされ、本質を見誤ってしまった様に感じるデザインの車が多い昨今、こうしたデザイナーの方々の力量が本当に出ているのかと考えると、疑問を感じています。「繊細な日本人の感性だからこそ、生み出せるテイスト」が必ずあると。新規性を追求するのは重要な事ですが「そこに美しさはあるか」、この部分はとても重要だと思います。

もうお腹いっぱいだよの日産、まだまだ出来るはずのマツダ、そろそろ瞬間芸は止めようぜのトヨタ、迷路を全開疾走中のホンダ、デザイナーに「そのデザインは本当に好きか?」と問いたいスバル・・・。事情はそれぞれ違えど、どこの国産メーカーもまだまだ「イケ」る筈だと考えてます。

さてさて、今年はどんな車が見られるのでしょうか(^_^)

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平常モードに移行

正月には飽きました。もう、来年まで要らないです(w)

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さ、最低だ・・・紅白

「見せてもらおうか、魂を入れ替えたNHKの実力とやらを」

そんな気持ちで、年末恒例の「NHK紅白歌合戦」を見てみました。とは言うものの、選んだ理由は、汗臭いのはイヤ、馬鹿騒ぎはキライ・・・そんな消去法の結果でした(ーー;)

同じ様に感じた方も多いのではないかと思いますが、昨日の紅白は「視聴率を取る為なら、なり振り構わず」って感じでしたね。もう、何でもアリ状態。時代錯誤の「枯れまくりギャグ」は毎度の事ながら、目を引く為ならモッコロでもキリゾーでも仮面ライダーでも出す、映画繋がりというだけで意味も無くスターウォーズの凸凹コンビ。白組なのにドス黒い司会者(爆) そしてトドメと言っちゃあんまりの、全く笑えない「曙の敗北シーンの再現」。シャレにしても狙ったにしても「品の無さ」という点に於いては、今までの紅白を遥かに凌ぐ番組でした。ああ、改革ってこういうことなのか・・・と(笑)

個人的な見所は、私の好きな仲間由紀恵ちゃんが司会だったこと、倖田來未が激しくイカしていたこと(爆) そして、前振りがあまりに凄惨だった為に、強烈に聞かせまくる形となった、さだまさし位(ここは演出勝ちか?)
私は、ゴリエのダンスの「キレの良さ」にひとしきり感心した後、途中で脱落いたしました・・・・。

あ、しまった! 「デンドロビウム小林幸子」を見るのを忘れた・・・orz。

かなり以前から感じてることなんですが、そもそも、子供にも「ジェンダーフリー」が教育されている、この平成時代に、男女に分かれて(?)「歌合戦」なんて、完全に時代錯誤だと感じています。そして、なんと言っても番組の構成や演出で「情けない、みっともない、哀れ」という感覚が先に立つようでは、「紅白よ、お前はもう死んでいる」状態です。

それじゃ、民放が良いかと言ったら、それはまた別の話。この時期のTV番組表を見てると、TVという文化そのものの黄昏を強く感じますね。ケーブルTVとでも契約して、タップリと映画でも見た方がどんなに良い事か。

あ、大事な事を書くのを忘れるところでした。
「今日はとぉっても寒くて、朝、お布団から出られませんでした〜」
...遅いって、オイ...(ーー;)

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アケマシテ、オメデトウゴザイマス

アケマシテ、オメデトウゴザイマス。
2006ネンガ、ミナサマニトッテ、サラニ、スバラシイトシニ、ナリマスヨウニ。

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