高校野球、という幻想
まず始めに、私は野球というスポーツについて、極めて偏見を持っている事。選手もイチローと、ゴリラだがクジラだかというアダ名の付いた選手しか、見分けが付かない程度です。この様な斜めからの視線で、この「ドタバタ劇」を眺めていた事を明言しておきます。
この一件、部長(?)にしても、被害にあった(??)生徒にしても、言い分は同じ位に信用できません。まあ、そうした部分を裏に「さわやか高校球児」のイメージを壊さない様な、落としどころを高野連が狙ったのだろうというのが私の見方です。確かに優勝した努力は認めなくては子供達が気の毒です。しかし、チームメンバーの些細な不祥事が原因で、学校の名誉か高校野球のイメージを守る為に、戦う前にトーナメントを辞退した(させられた)子供達も居る多くの前例を踏まえると、倫理的な一貫性が無い様に思えます。
私の母校も甲子園出場の経験があります。甲子園に出場した時代の野球部員などは、それはもう酷いもので、勉強はしないのは当たり前、加えて授業の邪魔はする、タバコは吸う、デカイ音の単車は転がすと、ぶっちゃけ、ゴロツキの集団でした。まあ、「高校野球」という名の傘の下に隠れ、好き放題をする一種の特権階級だった訳です。多分、少なからずの有名校では、大同小異な状況だろうと思っています。故に、私は高校野球そのものが、既に薄汚れて見えてる訳です。
物事に一途に打ち込む姿は美しいと思います。それは認めましょう。でも、高校野球を「さわやか」に見ているのはあくまでも受け手側。この受け手側の「幻想」に縛られた故に、多くの優秀な才能が、無に帰していっている現実を直視すべきだと思います。勝利を手にした者の魂は崇高ではありますが、立っている所が薄汚れている。言い換えれば、そうした、薄汚れた多くの屍の上に立った「汚れたスター」です。「正々堂々、さわやか」を貫くなら、不祥事が発覚すれば「優勝は取り消し」ではなく、むしろ「辞退」すべきでしょう。それが、高校野球に「求められている精神」では無いかと・・・悪意に満ちた批判と、強烈な皮肉を込めて。
【2006年3月3日】
言わんこっちゃない。どうせこんな事だろうと思ってました。
駒大苫小牧がセンバツ出場辞退…監督辞任、校長辞職
【トラックバック先】
駒大苫小牧の不祥事(高校野球)(元検弁護士のつぶやき様)
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