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指静脈vs手のひら静脈 本当に不正引き出し防止の為?

先日、みずほ銀行と三井住友銀行、そして日本郵政公社が「指の静脈認証」による本人確認の方法を採用するという記事を読んだ。先行する東京三菱銀行とスルガ銀行は「手のひらの静脈認証」だ。なんで金融業界で一本化できないのか? 

以前、ある展示会で、「指静脈認証」と「手のひら静脈認証」の両方を見る機会があった。個人的な感覚で言えば、指静脈はベッタリとセンサの上に指を乗せる為に「まるで指紋を採られている様」で、お世辞にも印象は良くなかった。嫌でもスピード違反で捕まった時の事を思い出してしまう(苦)。また、私は人差し指で登録してみたかったのだが、「中指での照合」を案内され、中指で照合させられた。なにか不都合でもあるのだろうか? 付け加えるなら指先だけの認証の筈なのだが、実際の認証時には結果的にセンサーの上にペタリと手のひら全体を置かねばならなかった為に、どことなく不潔感が漂っていた。反面、「手のひら静脈」は「手をかざすだけで認証出来るので自然」であり、抵抗感も殆ど無かった。センサー自体にも触れることは無く、説明員の方の説明の通り、衛生的な印象だ。また、指と手のひらを比較すると、手のひらのほうが圧倒的に情報量が多い様に思える。故に仮に偽造出来たとしても、情報量の多い手のひらの方が難しいのではないのだろうか? 加えて言うなら、先行している手のひら静脈には、先行しているなりの技術的蓄積もあるはずだ。ここはテクノロジー的な視点で言えば、極めて重要な要素である。
また、調べてみると「手のひら静脈」は「グッドデザイン賞新領域デザイン部門」「日刊工業新聞社十大新製品賞 本賞」「日経優秀製品・サービス賞 審査委員特別賞」の「他業界からのお墨付き」とも言える、各賞を受賞している実績があるが、「指静脈」はこうした受賞歴だけでなく、金融機関での採用の実績も何も無さそうだ。こういう視点で見ても、個人的には「手のひら」の方が圧倒的に優れている様に思えるのだが、なぜ全く実績の無い「指静脈」なのか? こういう点は何よりも利用者の安心を考えるべき金融機関は慎重に検討すべき点では無いのか?

まあ、私の記憶に間違いが無ければ、東京三菱はUFJとの合弁の話で、三井住友とはケンカの真っ最中。みずほ銀行も、メガバンクという視点で言えば、東京三菱との競合関係にある。これを作ったシステム側では、手のひら静脈は富士通、指静脈は日立(多分)ということで、ライバル企業である。こうした企業それぞれの「エゴ」や「ライバル意識」が業界での規格統一の足かせになっていという事は、想像に難しくない。しかし、深刻な点は単なる競争の問題だけではない。バイオメトリクス認証というのは、体の特徴を使った照合技術である。こうした究極とも言える照合技術が、同じ業界内で乱立すると言う事は、重要な個人情報を二種類、その業界に開示しなくてはならないというシーンに出くわす可能性もあると言う点だ。ネットワーク化が進んでいる業界だけに、クラックされる可能性が二乗される事になるのではないか? 後発の判断にはこうした視点が欠如していると言わざるを得ない。

しかし、逆の視点もあるかもしれない。同じシステムで組まれた場合、ひとつがクラックされたら、全滅という考え方だ。ひとつの目的を達成する為に色々な方式があると言う事は、違う意味での安全性を確保できる。生命進化の中で遺伝子が取って来た戦略と同じである。生命進化ではないが、身近な例を言えば、コンピューターウイルスで汚染され、ニッチもサッチもいかなくなっているWindows機の隣で、Linux機やMacが何事も無い様に動いているというアレである(笑) まあ、どちらの考え方が正しいのかは、現段階では判断が難しい。

ただ、これだけは確実に言える。誰の思惑でもいいが「利用者側の立場」という視点は、ここには存在していないことだけは確かな様だ。

[2005年2月28日追記]
今日のニュースを見たら、 郵政公社と三井住友銀行は指認証で決定の様ですね。今回の指認証って、どうやら日立さんの製品で正しい様です。(訂正:頂いたコメントによると、日立以外の企業でも作ってる様で、指静脈自体、特別な技術では無さそうです)
でもリリースを読んだ限り「指は読み取り範囲が狭く、装置も小型で使い勝手が良い」って、誰の方を向いてる理由なんでしょう。読み取り範囲が狭いって言い換えれば、指先と手のひらで、同じ密度で静脈が有ると仮定して考えてみても、情報量が少なく、認証精度が出せない事の裏返しじゃないかなとも思えます。「負傷部位があっても複数の指を登録しておけば対応できる」って、誰かの人差し指で登録して、私の薬指で「オケイ!」なんて事にはならんのかなと。双方の認証精度は知りませんが、指静脈は手のひら静脈より情報量が少なそうな点、そして仮に同じ認証精度だと仮定すると指の本数分危ない様に思えます(確率的にです)・・・なんて考えてみると、的の外れた理由としか思えてならないんですけど(笑) この件、あんまり深く突っ込むつもりは無いんですが、ハードSF好きが災いして、新しいテクノロジーに目が無い性分なので、どうも無駄に力が入ってしまいます(苦笑)

[2005年3月9日追記]
この記事に関しては、本当に思いも寄らない「ハード」な方向になってしまい、正直びっくりしています。以下に皆さんから頂いた意見を参考に、本記事に関してのまとめを書かせて頂きます。内容については、私個人の憶測の域を出ていませんし、思い違いもあると思いますので、ここは素人の視点というで予め容赦ください。

・結局、手のひら静脈か、指静脈か?
現時点では精度、安定度(環境や人を選ばない)の面では、手のひら静脈の方が圧倒的に有利そうです。反面、指静脈は一定条件下では問題はなさそうですが、不安定な要素が沢山ありそうです。技術は常に革新され続けるものですので、実際に使われまでには改良されると思われますが、同時に進化するであろう手のひら静脈の進化の如何で最後の勝敗が決まるのでしょう。いや、分裂したままかも知れませんが(^^;) でもこの点は、利用者として、大きな不便もありますが、前記の通り、視点を変えれば利点もあります。ただ一点だけ書かせて頂けば、安定度が十分でない製品を「銀行の政治的理由につけ込んで売り込んでいるとも見える」日立のやり方は、実に巧妙だと思う反面、大きな疑問も感じる所です。ここには利用者側の視点は無く、単純に「一企業の利益のみを追求した行為」とも思えます。自由競争ですから、こうしたビジネスそのものを否定するつもりは有りません。しかし、モノは「利用者の財産を守るもの」だけに、どうしても疑問は感じてしまいます。ちなみにちょっと探してみたら日立の指静脈のページが有りました。・・・って、よく見ると日立とオムロンの共同出資会社でしょうか?

指静脈認証(日立オムロンターミナルソリューションズ)
http://www.hitachi-omron-ts.co.jp/products/senyouki/003.html

私が見た時と形が違いますが、センサー手前のパームレストは、きっと色々な人の手垢や埃で真っ黒になるか、脂ぎったりするでしょうね。「衛生面にも優れた生体認証方式」って書いてありますが、私にはそうは見えません。まあ、そんな些細な突っ込みはともかくとしても、利用者の立場では、結果的に本当に良いものが使えれば、指でも手のひらでもどっちでも構わない訳で、互いにシェアを食い合うだけで「悪貨は良貨を駆逐する」なんて事にならない様にして頂きたいと願うだけです。>富士通、日立

・東京三菱銀行と、後発の指認証導入決定銀行の視点の違い
匿名銀行員さんの投稿を拝見する限り、銀行は多くのしがらみや政治的な理由で指静脈の採用を決定している様に見受けられますが、ここは各銀行の思惑と、開発企業の思惑が絡み合ってる部分もありそうで、私には真相を見る目はありません。ただ、これは私の憶測に過ぎませんが、みずほ銀行、三井住友銀行共に指静脈の「完成品を見ていない可能性がある」のにも関わらず、指静脈に優位性が有る様なニュースを配信している点について、現時点では、利用者に対して「不確かな情報を流している可能性がある」とは言えるかもしれません。ちょっと調べてみたのですが、東京三菱銀行は導入決定の前に約1000人を対象とした店頭アンケートを実施していた様です。当然、システムに対しての不安も有ったのでしょうが、「利用者の意見を聞く」という姿勢は、好感度はとても高いですし、同時に東京三菱銀行の「利用者に対する真剣な思い」も伝わって来る気がします。また、この事は、私たち自身が「どこの銀行が信用できるか」という、一つの重要な尺度になるかもしれません。さて、今回の決定で、東京三菱銀行と同じ様に、利用者の視点に立ったアプロ-チをされた銀行はあったのでしょうか? 少なくとも私はこの東京三菱銀行の姿勢を強く支持します。

東京三菱銀行の取り組み(関連記事)
http://jp.fujitsu.com/featurestory/2004/1027btm/
http://www.atmarkit.co.jp/news/200409/28/tmf.html

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Forester(フォレスター)、マイナーチェンジ

「スバルはなんでパリダカに出ないんですか?」「スバルの車は道の上を走るんです。」これは、スバリストの間で「親分」と親しまれ、スバルがセミワークスでラリーに参戦していた時代に、サファリラリーの総監督として活躍されていた小関典幸氏の言葉だ。「スバルの車は道の上を走る」 実に当たり前のことだが、この言葉には深い意味がある。「自然との対話」という目的で「道無き道に分け入るオフローダー」は、その存在自体が自然破壊である。故に「道無き道をチキチキマシンの様に迷走」する様な、ラリ−には参戦しない。これがスバルのモータースポーツの基本的なポリシーなのだそうだ。まあ、今はどうだか知らないし、そんなこと以前に、WRCとパリダカの両方に出られる様な、裕福な会社ではないというのが本音なのだろうが(笑)

私はこうした存在そのものに矛盾を持った、クロカン四駆は基本的には嫌いである。昔、私も某河川敷でクロカン四駆を走らせて、あまりの楽しさに手にマメまで作った事もある。あんな面白い車を手有していて、オフロードを走らない筈はないと(笑) だから、いわゆるクロカン四駆やSUVの類い、SUBARUではこのForester(フォレスター)という車は「嫌い」なのだ。でも、そんな事より最近は、トップグレードでないと四輪駆動システムを搭載していない「なんちゃって四駆」もあるようだから、最近のSUVというのは、従来のクロカン四駆とは、使用目的やその意味する所が異なって来ているのだろう。

前置きがやたらと長くなったが、今回、このForesterがMCを行った。個人的にはどうあってもいい車なのだが、ちょっと面白いと思ったので、感想を書いてみようと思う。

今回のMCで最も目を引く変更点は主にフロントまわり。いわゆるフェイスリフトという奴だ。今回のフェイスリフトは、現在進行中であるスバルのデザイン改革の流れの中で、現行モデルに対して、初めて行われたものであり、今後どの様に新しいデザインを落とし込んで行くのかを予想する意味で、見逃せないMCであると私は考えている。

新しい顔つきを見た第一印象は「クリーン」。実にクリーンである、時代と共に少し古臭くなってしまった、やや丸みをもったMC前のモデルまでの「面と線」をキレイに整理し、フロントグリルに新しいアイデンティティを臭わせるグリルを、角を立てて大きく配した所には、「答えは一つではない」という事を予感させられた。また、敢えてグリルの中心ではなく、ヘッドライトの水平方向の中心線に合わせて配置された六連星も、今までのスバル車には無かった粋な配置と思える。グリルのルーパーの数や、グリルの周囲との間隔もよく計算されており、メッキを多用しつつ、全体で面で見せながら嫌みが無く、好感度が高い。車が一回り大きくなった様な錯覚すら覚える程だ。SUVらしく、且つ、街で見ても泥臭く見えないデザインに仕上がっていると感じた。今回は「翼のモチーフ」を入れなかったのは正解だろう。ただ、残念な事は、この顔と従来から変更の無い横のプレスラインの表情がやや異なってしまった点だ。まあ、これはデザインした時代が異なるので、致し方ないという所だろう。後部に関して言えば、些かあっさりしすぎて、コストダウンと見えてしまう所が残念に思える。リアゲートの六連星の左右のどちらかにForesterのエンブレムを移した方が、コストダウンの印象は弱まったのではないかと感じる。どちらにしても、ここに関しては、些か詰めが甘い(苦笑)

今回のフェイスリフトを見る限り、全ての車をいきなりあのファニーフェイスにムリクリに変えてしまおうという事ではなさそうだ。また、車の性格によって、それぞれ効果的なデザインを選ぶという、まあ、言ってしまえば当たり前の方向性もちゃんと頭にある事が見えた様に思える。まあ、一貫性が無くて迷走していると切ってしまえばそれまでだが(笑)  しかしながら、どうしても奇異に感じるのは、モデルによってデザインの「こなれ具合が違う」のは、デザインコンセプトをブランド全体で一貫して纏められるプロデューサーがきちんと機能していないんじゃないかと感じてしまう点である。BMWや、日産、マツダなんかも同様にデザイン改革を進めているが、もうちょっとまとまっている。というか、完成度で見れば雲泥の差だ。

次に控えているのは、Impreza(インプレッサ)のMCだが、私は新しいデザインコンセプトを前面に押し出してくる物になると予測している。新しい顔でWRCを戦い「勝たなければ」新しい顔とスバルがブランドイメージが重ならないからだ。ここは、失敗できないデザインになるだろう。Foresterのフェイスリフトを見て、ImprezaのMCが楽しみに思えて来た。

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B9 TRIBECAを斬ってみる。

B9 TRIBECAについて、言いたい事が山積みなので、斬ってみようと思う。

 まずはお題はこれだ。

Subaru Global | SUBARU B9 TRIBECA(スバル B9 トライベッカ)

 車全体の大きさ等から受ける印象は、実際の車をみてみないと解らないが、データを見てみるとかなり大きな車で有る事が解る。VWトゥアレグやポルシェカイエンなんかと同じ位のサイズにということで、実車はかなりの迫力があるのではと予感させる。車全体のシルエットは、既に先行して出ている他社のSUVの定番的なもので、特に目新しさは無い。可もなく不可も無くと言った無難なところだ。後発として新しい提案が無いのは苦戦を強いられるだろう。

 この車のデザイン上の特徴は、丸みを基調としたものをエッジで切るというという手法が取られているが、R1eで使われていた面はここで使いたかったのかと納得が出来た。サイドからテールレンズ、そして反対側のサイドまで一本に貫かれたエッジはとても印象的だ。敢えてここに六連星を配した事も美しいと思える。ただ、問題なのはこの手法を使って大ヒットした車が既に存在しているという事実。真似とは言わないが印象としてよく似ている。

 そして、この車のスタイリングの最悪の部分は、やはりそのフロントフェイスだ。左右に大きく広げたスバルでいう「翼」をイメージしたグリル、そして中心の航空機のインテークをモチーフとした盾型グリル、そして八つ目ウナギの様なヘッドライトユニットは、この車で、いや、スバルの歴史上、稀に見るアグリーさだ。確かに左右に広げたグリルによって幅広感を上手く演出しているとは思うが、ヘッドライトユニットがこの上に配置されてしまっているため、異様な腰高感がある。実際にはこの事が車自体の存在感として伝わってくるか、それとも単にアグリーなのかはこの車の前に立ってみてみないと解らないのだが。加えて言うなら、この盾型グリルからフロントフードに伸びるプレスラインは、一見して直列エンジンを縦置き積んでいる様に錯覚してしまう。アクセントとしては成功しているとは思うが、この車本来の低重心をアピールするなら、この面の使い方は違う様に思える。同時に、この面の使い方では、クラシックな印象が出て来てしまっている。ネオクラシックでも狙ったのだろうか? 意図する所が良くわからない。シャープでクリーンな印象の有る後のデザインと、異様に重厚感のある前のデザイン。車の前後でデザイン的な方向の違いを強く感じるのだ。これを異様と言わないでなんと言おう。北米でのB9 TRIBECAの評判を2、3見てみたが、私の見た評価はすべて「ugly」。この事がどういう結果になるのか、一番解っているのはスバル自身だろうが。いや、やはり解っていないのか?

 私自身は、今回の新しいスバルの顔の変更を含む、デザイン戦略の転換ついては、世界市場で1%という大きな目標を達成するには必要不可欠であると思う。現行のレガシィのデザインは台形グリルを使い始めて三代目にしてやっとまとまりが出て、それ以外のクリーンなスタイリングもSVX以来のCOOLな仕上がりになっていると思うが、このデザインでは押しが弱く、近年の新しい潮流のなかでは、そう遠くない将来に押し流されてしまう様に思える。また、新しい表現方法は、旧来のファンの反感を買うというリスクを背負う事は当たり前の事だ。ここにあぐらをかかずに新しい挑戦をすることは避けて通れないし、また、その事については一人のファンとしては心から支持したい。ただ、R2,R1,B9 TRIBECA(ついでに言えば、Blitzen)を見て感じた事は、これは借りて来たデザインであろうと言う事。つまり、スバル車の機能とデザインの方向性がずれている様に思えてならない。故に諸手を上げて美しいとは言えないのだ。

 そう遠くない将来の展開として、現在の内燃機関からハイブリッドへの移行、並びにその先にあると予想される燃料電池への移行となった時に、現在のスバルの優位性である水平対向エンジン、並びにAWDはその意味の殆ど失う。そうした時までに、デザインを含めた確固たる商品戦略を確立していかないと、恐らく生き残る事は出来ないだろう。そうした重要な時期に、大きな力となるデザインで、メインとなる市場の意見で「ugly」といわしめるB9 TRIBECAで果たして良いのか?

 ・・・・詰めの甘さと、焦りだけはやけに目立つ。

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本物の価格破壊 Mac mini

 ここ2、3日、林檎ユーザの間で話が持ち切りになってるのは、このMac miniとiPod shuffle。今回は林檎ユーザとして、Mac miniに関しての感想を書いてみたいと思います。まあ、結論から言ってしまえば、このマシンは「買い」です。

 性能の点については、一般ユーザなら全く文句無し。エントリモデルとして用意されてるマシンですら、かなりのハイスペックです。ハードユーザの実運用で問題になるのはメモリ容量と人によってはHDD容量だけ。その点は増設すれば良し。周辺機もワイヤレスにして置けば場所は取らない。(ただ、トラブル発生時に起動スクリプトがBluetoothまで行くかという点がちょっと不安) サーバー運用として考えるなら、外部接続のHDDを二機用意して、RAIDをかませば小さくて堅牢なサーバーが完成します。Windowsとのファイル共有用のサーバなんかとしても問題ありません。

 このMac miniは今回、業界に対してのもの凄い挑戦状になってるんじゃないかと思える訳です。大きさでは窓メーカを含めて恐らく最小。価格もエントリモデルなら、窓OSを二本買うより安い、しかも堅牢と来たもんです。操作性はUNIX(Linuxも含めて)未だOSXに敵うマシンは有りません。IAマシン(窓、Linux共に)の足下にでっかい風穴を開けた様な、正に本物の価格破壊を見た様に思っています。これは今となっては唯一、ハードウェア、ソフトウェア共に独自で開発できているAppleだからこそ出来た荒技ですね。(あ、Sunも有りましたっけ、でも高いしねぇ)

 まだこのマシンは、その大きさや価格だけで騒いでいますが、本当の意味での潮流が見えてくるのはこの先です。今現在、じんわりとOSXを基幹としたシステムが力を付けて来てますが、この先、第三の選択肢としての力を加速させてくる事は間違いないでしょう。窓に見切りをつけた人達が何に流れるか・・・打撃を食らうのは、RedhatやTurboなどディストリピューターだったりするかもしれません。

 ぶっちゃけ、Mac miniでクラスターを組めば、CPUの世代は古くなるけど、同じだけの資金で4〜5倍のCPU数を確保できると考えると、ある規模までならG5 Xserveのクラスターよりパワーが有るなんて事にもなるかもしれません(笑)

 さて、どの位の方がこの記事を読んでるか解りませんが、そこの窓ユーザーの貴方! いっその事、林檎にスイッチしては如何でしょう(笑)

 ちなみに、一昨年導入した我が家のマシンですら、CPUのクロックスピードと静寂性では完全に敗北です(爆笑)

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土星の衛星、タイタンの音を聞く。

 愛知万博をやる金があったら、何人の人の命が救えるんだ。なんて事を書いておきながら、こうした話題には熱くなってしまう、所詮、私はこのようないい加減な人間と言う事で(^^;)

 今日、愛機の思兼(力林檎G4の愛称)の前に座りながら、激しくマイブームとなっていたのが、探査機ホイヘンスの土星の衛星タイタンの話題。なんでもメタンの海らしきものや、それらが流れたと想定される渓谷なんかが撮影されたり、地表のカラー写真が公開されたりと、個人的にかなり熱い展開になってきてます。まあ、氷点下180℃の世界では、化学変化自体もかなり起こりにくくなってますので、生命が誕生するような環境とはちょっと考えられませんが、こうした液体の中に、何らかの生命の誕生する前の段階の高分子が浮かんでいたりしてるのを想像すると、何ともはや、じっとして居られないようなもどかしさを感じます。ああ、やっぱり天文学者をなれば良かったなんて事を考えたり(笑) で、最も私を熱くさせたのが、これらのサイトの情報。

New images from Titan (ESA)
Sounds of Titan(ESA)
Cassini-Huygens: News-Features-Huygens Probe Descent - Jan. 14, 2005(NASA JPL)

 特にSounds of Titan(ESA)には涙しました(T^T) 写真ってのは、いままで様々な天体が撮影されて来ましたが、この「音」の配信ってのは、私は初めての体験です。これは必聴の価値ありです。文字通り、「異世界」の音を聞きながら、ちびちびと酒をなめてると、忘れていた何かが呼び起こされる感じがします。

 次の楽しみは、木星の朝夕作用によって、衛星自体が変形して内部の地殻変動による熱が発生しており、氷の下には海があるかもしれないという、木星の衛星「エウロパ」の探査結果ですね。出来れば、氷に穴をあけて海まで潜ってみてもらいたいと思っています。異世界の氷の海の下はどんな景色なんでしょうか? 地球上の深海の温水が吹き出している所にコミュニティを作っている様な生物が発見されるかもしれない・・・なんて事を想像すると・・・まあ、単細胞生物でも居たら楽しみだぞと。ちなみに木星到着は2008年だそうですが・・・。

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同窓会に参加してみる

 先日、中学校時代の同窓会に出席して来た。卒業以来、まったく顔を合わせていない多くの旧友との語らいの時間は、本当に何時間有っても足りないくらいだ、まるで、その時の時間を切り取ってタイムカプセルにでも詰め込んでおいて、昨日のあの時間に貼付けた様な奇妙な感覚。卒業時の約半数が参加した大パーティだったので、そんな感覚を覚えたのではないかとも思う・・・まあ、私自身の精神年齢がその頃からあまり変わっていないだけなのかもしれないが(苦笑)
 旧友達を見て、いくつか面白い所に気がついた。まずは人間関係である。それぞれ異なる道を歩んで、それなりに歳を取った。社会的に成功した者、その筋に走ってしまった者、堅実に家庭を築いている者もいる。そして、私の様に未だに人生の迷路から抜け出せないでいる者(苦笑)。まさに「人生色々」であるのだが、不思議と当時の「その時間に有った人間関係そのもの」が構成されていた。これはそれぞれに歩んで来た人生は、その時の延長線上に有ったという事なのだろうか・・・いや、多分、これは違っている。私の単なる錯覚なのかもしれないが、それ以上の現実味がある。
 もう一つ、これと相反する部分もあるのだが、個人それぞれの外見上の歳の取り方の違いに開きが出て来ている事。同い年とは思えない位に老けてしまった友人も入れば、まだ20代後半とも思える様な若々しさを持ってるものも居る。それぞれの時間の進み方に明らかな差が出て来ている様だ。この外見上の年齢差は、よく「歩んで来た人生が顔に表れる」と表現される事もあるが、実際にはそれ以上の何かが有る様に感じた。遺伝子レベルでの生物としての歳の取り方は個体差があっても当然なのだが・・・・若く見えるアイツは、単純に生体時計のズレによるものなのか、常に私より光速に近い速度で活動しているのか? それともアイツの住んでいる所は、ウチより高重力下にあるのか?  < SF莫迦的思考回路

 私は特に老ける事そのものには恐れはあまり無い。もちろん、やり残して来た事も沢山あるし、新たにやらなきゃいけない事も山積されている様に思える。ただ、同窓会に参加してみて漠然と思った事は「イカした歳の取り方をしたい」と言う事だ。じゃあ、イカした歳の取り方とはなにか? 社会的に成功する事? 腹の出っ張りを引っ込める事?・・・いや、少なくともこれらはあまり重要ではない様に思える。正直、自分でもまだその答えは見えない・・・そして、私の魂の放浪の旅は今日も続くのである(苦笑)

 この事が、今後の私の老け方にどの様に影響してくるのかは、とても興味深い所だが、取りあえず当面の最優先事項は、郷の寒さで悪化させた風邪を早く治す事のようだ。(莫迦な事書いてないで、早く寝ろってか?)

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